親が認知症と診断された後、適切な相続対策が取られていない場合や、認知症の進行中に無理に相続対策を進めると、さまざまな相続トラブルが生じるリスクが高まります。以下では、具体的なトラブル事例とその対策について解説します。
【認知症と診断された親に関わる相続トラブル】
- 相続対策の効力を巡る相続人間の争い
- 親が望む財産承継の実現が困難になる
- 相続税の節税対策が困難になる
- 介護費用や生活費、葬儀代の引き出しができなくなる
事例1:相続対策の効力を巡って揉める
親が認知症の症状を示し始めてから相続対策を行うと、後に相続人同士でその対策の効力を巡るトラブルが発生する可能性があります。認知症の初期段階では、症状が軽度であったり、まだら認知症(症状が時間や日により変動する状態)で一時的に判断力が戻ることがあります。このような状況で行われた法律行為が、後にトラブルの原因となることがあります。
【相続対策の効力を巡る相続人間の争いの具体例】
父親が認知症の軽度な段階で、長男へ生前贈与を行いました。しかし、後にこの事実を知った次男が「父は認知症だったため、生前贈与は無効である」と主張し、長男との間で争いが発生しました。
このように、相続対策が行われた時点での親の意思能力を巡って、相続人同士が対立することは少なくありません。このような争いを防ぐためには、公正証書を作成しておくことが効果的です。また、医師の診断書や介護施設の記録などを用意しておくことで、意思能力を証明する際に役立ちます。
親が希望する財産承継が実現できない
親が認知症になる前に相続対策を行わないと、親が望む財産承継が実現しない可能性があります。認知症と診断されると、遺言書を作成したり、生前贈与を行ったりすることができなくなるためです。その結果、親が亡くなった後、財産は相続人同士で協議の上で分配されることになります。
【親の希望する財産承継ができなかったトラブル事例①】
父親は足を悪くした後、献身的に介護をしてくれた三女に自宅を相続させたいと考えていました。しかし、認知症が急速に進行し、遺言や生前贈与を行うことができないまま他界。結果として、父親の意向とは異なり、自宅を含む財産は長女・次女・三女の3人で均等に分けられることになりました。
【親の希望する財産承継ができなかったトラブル事例②】
父親には前妻との子どもAと、現在の妻との子どもBがいました。Aは成人後も度々金銭を要求し、父親との関係は悪化していました。父親は現在の妻とBにのみ財産を渡したいと考えていましたが、何も行動を起こさないまま認知症と診断されてしまいました。その結果、父親の財産は法定相続通りに分割され、Aにも4分の1の財産が相続されました。
このように、親が望む財産承継が実現しないリスクがあります。家族信託、遺言書の作成、生前贈与といった対策を講じることが効果的です。
相続税の節税対策ができない
親が認知症と診断されると、相続税対策にも影響が及びます。認知症の状態では、生前贈与や不動産の組み換えといった相続税対策が行えなくなるためです。相続税は、財産総額が「3,000万円+600万円×法定相続人の数」を超える場合に発生するため、事前に相続税対策を講じることで税負担を軽減することが可能です。
代表的な方法としては、生前贈与により財産額を減らすことで節税効果を得ることができます。また、空き地に賃貸物件を建てたり、古い家屋をリフォームしたりすることで、資産の組み換えによる節税も期待できます。しかし、認知症になるとこれらの対策が難しくなり、節税の機会を逃してしまう恐れがあります。
【相続税の節税対策ができなかったトラブル事例】
夫は相続税対策として、所有する空地に預貯金を使ってアパートを建てる計画を立てていました。アパートを建てることで土地や建物の評価額を下げ、相続税を軽減できると考えていたのです。しかし、請負契約の段階で既に認知症と診断されており、アパートの設営ができませんでした。その結果、妻は空地と預貯金にかかる多額の相続税を支払わなければならなくなりました。
相続税の負担を軽減するためには、生前贈与が有効な対策です。ただし、生前贈与には贈与税がかかるため、相続税と比較して慎重に判断する必要があります。
介護費用や生活費を引き出せない
直接的には相続とは関係ありませんが、親が認知症と診断されると、金融機関は口座を凍結し、介護費用や生活費を親の口座から引き出せなくなります。親が亡くなり、相続人が確定するまで預金を引き出せないため、その間の費用を家族が負担しなければならない場合があります。
【介護費用や生活費、葬儀代を引き出せなかったトラブル事例】
母親が認知症になり、銀行で意思能力がないと判断され、口座が凍結されました。同居していた長女家族が母親の介護をしていましたが、母親の預貯金を引き出せなくなり、生活が困窮。長女は次女に援助を求めましたが、断られてしまいました。結果として、長女は息子の進学費用として貯めていた預貯金を切り崩すことを余儀なくされました。
このように、口座が凍結されると相続人に負担がかかり、相続人間の対立を引き起こすリスクもあります。成年後見制度を活用することで、こうした問題を防ぐことができます。
口座凍結の対策には成年後見制度が有効
成年後見制度は、判断能力が低下した人(被後見人)が適切な生活を維持できるよう、後見人が財産管理や医療、介護などの面でサポートするための制度です。この制度を利用することで、認知症によって凍結された口座から預貯金を引き出すことが可能になります。
成年後見制度には、以下の2つのタイプがあります。
- 任意後見制度: 判断能力が低下する前に、被後見人自身があらかじめ後見人を指定する制度です。
- 法定後見制度: 判断能力が低下した後に、家庭裁判所が後見人を選任する制度です。
口座がすでに凍結されてしまった場合でも、預貯金を引き出せるのは法定後見制度のみです。ただし、法定後見制度では必ずしも家族が後見人に選ばれるわけではなく、手続きが煩雑で、利用までに数ヶ月から半年程度かかることがあります。そのため、任意後見制度をあらかじめ設定しておくことで、万が一の際にも柔軟かつスムーズに対応できます。
なお、どちらの制度においても、家族以外の人物が後見人や後見監督人に選ばれた場合、その報酬として月額約2万~6万円の支払いが発生することに注意が必要です。
【注意点: 相続対策としては活用できない】
どの制度においても、後見人は被後見人の生活のためにのみ預貯金を引き出すことができます。たとえば、後見人は被後見人の医療費を捻出するために不動産を売却することが可能ですが(裁判所の許可が必要です)、相続税対策のために不動産を売却することは認められていません。
成年後見制度は、認知症になった方やその家族を支えるための制度であり、相続対策としては利用できません。将来の不安を軽減するためには、家族信託や遺言、生前贈与といった他の手段と組み合わせて活用することが推奨されます。